自己紹介(2017.9.19現在)

自己紹介

福津市福間南二丁目6番1号に住んで56年目になります。内田豊と言います。(1929.10.19北朝鮮咸鏡北道雄基で生まれました)当年とって87歳と11ヶ月、来月は満88歳の米寿を迎えます。第一の目標は満90歳までは頑張り続けたいと願っています。現役引退は平成元年3月31日。その後、福津市の障害者施設の福間サンテラスで障害者とそのスタッフのお手伝いを丸25年間、それと並行してNPO法人のころっけで弁当配達の仕事を丸6年続けて参りました。この弁当配達で支給された手当は、全てユニセフ募金とサンテラスへ寄付(年末に両方併せて24,000円)してきました。加齢化するに従い徐々に体力・気力の衰えが目立ち始め、人手に頼らざるを得なくなりました。3年前に心不全脳梗塞で福岡東医療センターに入院、やっと昨年3月に退院、病院の生活から脱却、今はリハビリと体力の回復を兼ねて、前身のイトマンスイミングスクール古賀校創設から現ブリジストンスイミングスクール古賀校へ足掛け23年通いつめ、メニユーにある、水泳教室に参加しています。生まれてこれまで、気管支炎・喘息・肺結核・肋膜・糖尿病・緑内障と、あらゆる病と闘って来ました。従来右耳の聞こえが悪いのと、ここ4~5年前から物忘れがひどく、自分では認知症が、相当進行していると自負しています。別に認知症を苦にしているわけでもありません。それなり人生を楽しく生きていこうと思っています。本年5月には福間病院で開催された認知症の講座に参加して来ました。手術に関しては上からいくと、網膜剥離・左右両眼白内障・皮膚がん・48歳の時に総入れ歯・その後、左右両肩の腱板断裂の手術・大腸がん手術を乗り越えてきました。第四腰椎すべり症、ベッドでの寝起きが出来ないくらい痛みが激しく、腰椎すべり症の手術が決まっていたのですが、整形外科の医師からその前に、手段としてブロック注射をと言われ、この手術を施術したお陰で、何とか寝起きが自分で出来るようになりました。然しながら、左足大体骨から足の先まで麻痺状態が今でも続いています。病に関しては内科的にも外科的にもデパート並みのオンパレード状態です。自分ながら満身創痍の体、よく持っているものと思います。プールで水泳をやるきっかけは、海水浴で自己流の立ち泳ぎとカエル泳ぎはできていたが、テレビで見たオリンピック、特にクロールは自分もやりたいな、あんな格好の良い泳ぎが出来たなら素晴らしいだろうな、というのがきっかけでした。当初は3ヶ月も習えばプールも辞める積りでのイトマンスイミングスクール古賀校入校でした。1994年6月1日から一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、三ヶ月が経ちました。水泳の奥深さに取り付かれ、これは生涯のスポーツにしょうと決心しました。水泳を続けるのに理屈はいらないし、個人で続けることが可能、そして、いろんな方との出会いが大事ということに気がつきました。指導してくれる先生、フロントのスタッフ、そして水泳のお仲間とも仲良く生涯お付き合いしたいと考えています。命が途絶えるまで頑張って見たいと思います。何卒、宜しく、よろしくお願いいたします。私の血液型はB型です。性格的にズボラというか、なんでもアバウトなので、これといってとことん突き詰めるようなことはしませんが、趣味に関しては欲張りタイプ、浅く広くなんでもはまってみたいのが本音です。好奇心旺盛、性格的には欲張りで、多趣味で浅く広くがモットーです。パソコン、囲碁、写真、映画(洋画)、観劇(歌舞伎・新劇・琉球舞踊)、音楽鑑賞(クラシック・ポピュラー音楽)、美術館、博物館めぐり、スポーツは野球、バレーボール、ラグビー、卓球、ゴルフといずれも若い時は競技に熱中、また観戦するのも大好きでした。定年後はひたすら水泳に熱中し、クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・個人メドレー5種目ともチャレンジしていた。今、水泳教室に通い始めて23年目です。可能な限り生涯スポーツとして泳ぎ続けるでしょう。まだやりたいことしたいことも沢山あります。墨絵も習いたい、絵手紙も習いたい、絵画も習いたい、英会話も習いたい、テニスもチャレンジしてみたい。夢はまだまだ終わりません。私の録画したビデオテープ(5000本以上)をDVD化する。パソコンの知識をもっともっと充実させる。料理も本格的に習ってみたい。日本全国をJR鈍行列車でテクテクのんびり周遊してみたい。こんな欲張りな性格なので、一日が36時間は欲しい。今でも1日の睡眠時間は5時間足らず、私に残されている時間はそんなに多くはありません。従って眠って時間を消費するなんて、もったいなくて考えられません。宗教に関しては、神佛は信じていませんが自分のみを信じています。我が家の宗派は曹洞宗と家内に教えてもらいまし。また、家内から勧められ、毎朝ご先祖様の前でお祈り「南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・・・」「天災・人災で亡くなった方と知人・友人・親戚の亡くなった方に南無釈迦牟尼仏・・・」「新原・堀川家のフアミリーと私たちの健康と平和を願って、南無釈迦牟尼仏・・・」「綾華・脩平・沙奈・祥平・煌大たち孫とひ孫の前途が順調でありますように南無釈迦牟尼仏・・・」「東日本の大津波・日本全国の大震災・大水害の復興が一刻も早く復興しますように南無釈迦牟尼仏・・・」「最後に世界の平和を願って南無釈迦牟尼仏・・・」と唱えています。「出来ることを出来るときに、出来る範囲で」また「人の世話になるより人のため、世の中のために」と心がけてきました。気持ちの上では他愛もないささやかな欲望ですが笑わないでもらいたい。最後に、残る余生を元気で楽しく送りたいと念じておりますが、さらなる願望は可愛い孫と曽孫たちに、明るい未来が訪れてくれるよう願っています。             2017.9.19記 内田 豊